2008年 02月 09日
赤嵌樓 (留学百六十三日目) |
台南で一番古い史跡である赤嵌樓は、台湾南部を占領したオランダ軍が1653年に建てたのプロビデンシャ城(紅毛城)にその起源を持つ。オランダが造ったということしかしらず実際に実て見るとレンガで建てられてはいるもののやはり中国調の建物でヨーロッパの城や要塞とは雰囲気がぜんぜん違う。
それもそのはず、この建物は、オランダは鄭成功によって駆逐されているし、1862年の自身で楼閣は全壊、その後建てられた施設も日本統治時代に一部取り壊されるなど、歴史や自然に大きく翻弄されているのである。それゆえに私の見た赤嵌樓は各時代の各国の様式が微妙に入り混じった姿をしていたのである。なかでもレンガでできた城門と基台はオランダ統治時代のものであるとのこと。
それにしても台南の古跡は、不連続でありながら連続している台湾の歴史を象徴しており、実に興味深いものである。
奥に見えるのが赤嵌樓。右手前にはオランダが鄭成功に降伏しているシーンの彫像が置かれている。
それもそのはず、この建物は、オランダは鄭成功によって駆逐されているし、1862年の自身で楼閣は全壊、その後建てられた施設も日本統治時代に一部取り壊されるなど、歴史や自然に大きく翻弄されているのである。それゆえに私の見た赤嵌樓は各時代の各国の様式が微妙に入り混じった姿をしていたのである。なかでもレンガでできた城門と基台はオランダ統治時代のものであるとのこと。
それにしても台南の古跡は、不連続でありながら連続している台湾の歴史を象徴しており、実に興味深いものである。
奥に見えるのが赤嵌樓。右手前にはオランダが鄭成功に降伏しているシーンの彫像が置かれている。
by TaiwanBlog
| 2008-02-09 17:00
| 民国97年2月