2007年 11月 04日
映画「色、戒」 (留学五十六日目) |
大二会話の授業の振り替えのために映画「色、戒」を見に行く。感想を先生に提出しなければいけない。中国語初心者にもそれなりに楽しかったのだが、感想文を書くとなると何から書き出せばいいのやら。思ったことから書き始めてみると結構な文章量となり、せっかくなのでこのblogでも紹介する。感想文をこのblogから抜粋したのではなく、感想文をこのblogに転記したのだということを、念のために記しておく。
台湾の若者の間では大胆な性描写でセンセーショナルな話題を集めている「色、戒」。しかし、大陸で上映する際には、ベッドシーンと殺人シーンは大幅カットされているそうである。依然として表現の自由が大きく規制されている中国と解厳後20年間が経過し自由が当たり前となった台湾の違いが浮き彫りになっているようで大変興味深い。
もっぱらセックス描写のことで注目を集めているが、「色、戒」は張愛玲の小説が元になっているれっきとした文学映画である。残念ながら私は原作を読んでいないので、比較しながら論じることはできないので、ストーリーと演出についての感想を書き連ねたい。
まず、一番印象に残ったのは湯唯演じるヒロイン王佳芝の主体性のなさについてである。最初から最後まで彼女の行動には彼女自身の意思を感じることができなかった。彼女はまず鄺裕民(王力宏)の劇団に入り、次第に愛国運動にのめりこんでいくのだが、彼女は当初から強い意志や理念を持っていたとは思われない。おそらく王佳芝は成り行きで演劇の世界に入り、その場の空気で愛国運動の一味になってしまっていただけであると思われる。汪兆銘政権の特務機関の親玉である易先生(梁朝偉)暗殺の計画に従事したのも、彼女自身の意思によるものではなく、演技力を買われて仲間からその役割を割り当てられたため計画を遂行して行っただけに過ぎない。
また、本来なら暗殺対象である易先生と近づくに連れて次第に引かれていくというシーンは強引に感じられた。なぜ、傀儡政権の特務の高官という漢奸であり暗殺目標である易先生を愛してしまったのかがよくわからない。日本料理店のシーンなど、お互いに愛し合う気持ちが本心であるということを確かめ合う描写はあったが、そのような境地に至るまでの心境の変化の過程が少々説明不足だったのではないか。また、ダイヤモンドで愛を本物だと悟るというのもあまりにも安直なのではないか。ただ、このような強引な展開も、王佳芝は主体性を持っておらず場の空気に流されて生きるだけの女性であると考えるならば、ごく自然な展開であるといえるのかもしれない。時代に翻弄された女性の悲恋がこの映画の主題なのだが、ここまでヒロインの自我の描写が少ないと逆に悲劇性が薄れてしまう。
もう一点、気になったのは時代背景の描写の少なさである。会話での説明は十分なされていたのかもしれないが、映像による描写は非常に少なかった。
「色、戒」の次代の少し前の上海を舞台にした映画「上海の伯爵夫人」(ジェームズ・アイヴォリー監督作品)の時代背景の描写は素晴らしかった。国際情勢と登場人物をダブらせる見せ方も秀逸である上、展開の中に日本軍の戦闘シーンや街の混沌の描写をたくみに混ぜ込まれている。時代考証に従ったアクションシーンは、物語に奥行きを与えると同時に注意散漫になりがちな観客をスクリーンに注目するよう促す効果がある。
「色、戒」の登場人物も当時の政治状況に呼応した行動をとっているのだが、登場人物以外の周囲の状況があまり描写されていないため、歴史を知らない観客には作品の内容が理解しにくかったかもしれない。日本軍占領下を舞台としていながら戦争を直接的に感じさせる記号が少ないということも引っかかった。もちろん、繰り返し出てくるマージャンシーン、日本語教育の場面、易先生が王佳芝を呼びつける店が日本料理店であり他の部屋は日本陸軍が借りているという描写など、非常に興味深い描写も多いのだが、基本的に地味である。欲を言えば派手な戦闘シーンや暴動シーンなどが織り込まれていて欲しかった。やはり色気と対になって観客をひきつけるものといえばやはり暴力であろう。厳密に時代考証をすると、絵になる大規模な事件がなかったのかもしれないが、映画の構成を考えると途中に何度か戦闘シーンがあったほうがよかったのではないだろうか。
王佳芝の心理に共感できなかったのは私の語学力不足に起因しているのかもしれないが、構成上の間延び感はこの作品の問題点だと思われる。妖艶なベッドシーンで好評を博している作品だけに濡れ場はよくできていたが、そのことばかりが注目され、ストーリーや歴史背景が軽視されているのは非常に残念である。しかし、全世界で公開される予定の作品としては時代背景をまだまだ上手く映像にしきれていないので、そのような話題が先行してしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
台湾の若者の間では大胆な性描写でセンセーショナルな話題を集めている「色、戒」。しかし、大陸で上映する際には、ベッドシーンと殺人シーンは大幅カットされているそうである。依然として表現の自由が大きく規制されている中国と解厳後20年間が経過し自由が当たり前となった台湾の違いが浮き彫りになっているようで大変興味深い。
もっぱらセックス描写のことで注目を集めているが、「色、戒」は張愛玲の小説が元になっているれっきとした文学映画である。残念ながら私は原作を読んでいないので、比較しながら論じることはできないので、ストーリーと演出についての感想を書き連ねたい。
まず、一番印象に残ったのは湯唯演じるヒロイン王佳芝の主体性のなさについてである。最初から最後まで彼女の行動には彼女自身の意思を感じることができなかった。彼女はまず鄺裕民(王力宏)の劇団に入り、次第に愛国運動にのめりこんでいくのだが、彼女は当初から強い意志や理念を持っていたとは思われない。おそらく王佳芝は成り行きで演劇の世界に入り、その場の空気で愛国運動の一味になってしまっていただけであると思われる。汪兆銘政権の特務機関の親玉である易先生(梁朝偉)暗殺の計画に従事したのも、彼女自身の意思によるものではなく、演技力を買われて仲間からその役割を割り当てられたため計画を遂行して行っただけに過ぎない。
また、本来なら暗殺対象である易先生と近づくに連れて次第に引かれていくというシーンは強引に感じられた。なぜ、傀儡政権の特務の高官という漢奸であり暗殺目標である易先生を愛してしまったのかがよくわからない。日本料理店のシーンなど、お互いに愛し合う気持ちが本心であるということを確かめ合う描写はあったが、そのような境地に至るまでの心境の変化の過程が少々説明不足だったのではないか。また、ダイヤモンドで愛を本物だと悟るというのもあまりにも安直なのではないか。ただ、このような強引な展開も、王佳芝は主体性を持っておらず場の空気に流されて生きるだけの女性であると考えるならば、ごく自然な展開であるといえるのかもしれない。時代に翻弄された女性の悲恋がこの映画の主題なのだが、ここまでヒロインの自我の描写が少ないと逆に悲劇性が薄れてしまう。
もう一点、気になったのは時代背景の描写の少なさである。会話での説明は十分なされていたのかもしれないが、映像による描写は非常に少なかった。
「色、戒」の次代の少し前の上海を舞台にした映画「上海の伯爵夫人」(ジェームズ・アイヴォリー監督作品)の時代背景の描写は素晴らしかった。国際情勢と登場人物をダブらせる見せ方も秀逸である上、展開の中に日本軍の戦闘シーンや街の混沌の描写をたくみに混ぜ込まれている。時代考証に従ったアクションシーンは、物語に奥行きを与えると同時に注意散漫になりがちな観客をスクリーンに注目するよう促す効果がある。
「色、戒」の登場人物も当時の政治状況に呼応した行動をとっているのだが、登場人物以外の周囲の状況があまり描写されていないため、歴史を知らない観客には作品の内容が理解しにくかったかもしれない。日本軍占領下を舞台としていながら戦争を直接的に感じさせる記号が少ないということも引っかかった。もちろん、繰り返し出てくるマージャンシーン、日本語教育の場面、易先生が王佳芝を呼びつける店が日本料理店であり他の部屋は日本陸軍が借りているという描写など、非常に興味深い描写も多いのだが、基本的に地味である。欲を言えば派手な戦闘シーンや暴動シーンなどが織り込まれていて欲しかった。やはり色気と対になって観客をひきつけるものといえばやはり暴力であろう。厳密に時代考証をすると、絵になる大規模な事件がなかったのかもしれないが、映画の構成を考えると途中に何度か戦闘シーンがあったほうがよかったのではないだろうか。
王佳芝の心理に共感できなかったのは私の語学力不足に起因しているのかもしれないが、構成上の間延び感はこの作品の問題点だと思われる。妖艶なベッドシーンで好評を博している作品だけに濡れ場はよくできていたが、そのことばかりが注目され、ストーリーや歴史背景が軽視されているのは非常に残念である。しかし、全世界で公開される予定の作品としては時代背景をまだまだ上手く映像にしきれていないので、そのような話題が先行してしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
by TaiwanBlog
| 2007-11-04 13:30
| 民国96年11月