2007年 12月 30日
国立台北教育大学 (留学百二十二日目) |
今日は日曜日だが、「国立台北教育大学 華語教学師資培訓班 第九期 試教」のために台北教育大に行って来た。
三週間ほど前に語言中心の先生からこのことを教えられ、詳しいことはよくわからないままぜひ行きたいと返事をしていたのだが、どうもこれは中国語の先生になるために勉強をしている人の教育実習のようなものだったようだ。当初はてっきりお金を払って別の大学で補修でも受けるのだと勘違いしていたのだ。お車代といった感じの名目で1000元の入った封筒を渡されるまでは、お金は払うのではなく貰えるのだということもまったく知らなかった。教育実習の学生役を務めるというのも我々にとっては中国語を勉強するよい機会で、さらにお金までもらえるというのだからこんなに美味しい話はない。
非常に有意義な機会ではあったが、まだプロの中国語講師になる前の先生の卵らによる授業なので上手い下手のばらつきが多きかったのも事実。今回の体験でいまの私の語言中心の先生のすごさを改めて思い知らされた。
語学の先生というのは、単にその言葉ができるというだけでは勤まらない。一部の人はまだ、自分がどう教えるのかに精一杯で、教えられる側の能力や期待や反応に合わせることができていないようである。華語教学師資培訓班の学生の間で受けるネタでも、中国語を学んでいる学生にはまったくわからないのではどうかと思う。また、外国人のおかしな中国語を聞いて爆笑するのはいかがな物か。
念のために書き添えておくと、今日先生役を勤め華語教学師資培訓班は全員準備をばっちりしてしてきていたし、その熱意はちゃんと伝わってきた。また、何名かは輔大の語言中心の先生に引けをとらないほど教えるのが上手かった。今日の授業はいまいちだった先生も、資格を取るころには皆すばらしい語学の先生になっているとことだろう。
三週間ほど前に語言中心の先生からこのことを教えられ、詳しいことはよくわからないままぜひ行きたいと返事をしていたのだが、どうもこれは中国語の先生になるために勉強をしている人の教育実習のようなものだったようだ。当初はてっきりお金を払って別の大学で補修でも受けるのだと勘違いしていたのだ。お車代といった感じの名目で1000元の入った封筒を渡されるまでは、お金は払うのではなく貰えるのだということもまったく知らなかった。教育実習の学生役を務めるというのも我々にとっては中国語を勉強するよい機会で、さらにお金までもらえるというのだからこんなに美味しい話はない。
非常に有意義な機会ではあったが、まだプロの中国語講師になる前の先生の卵らによる授業なので上手い下手のばらつきが多きかったのも事実。今回の体験でいまの私の語言中心の先生のすごさを改めて思い知らされた。
語学の先生というのは、単にその言葉ができるというだけでは勤まらない。一部の人はまだ、自分がどう教えるのかに精一杯で、教えられる側の能力や期待や反応に合わせることができていないようである。華語教学師資培訓班の学生の間で受けるネタでも、中国語を学んでいる学生にはまったくわからないのではどうかと思う。また、外国人のおかしな中国語を聞いて爆笑するのはいかがな物か。
念のために書き添えておくと、今日先生役を勤め華語教学師資培訓班は全員準備をばっちりしてしてきていたし、その熱意はちゃんと伝わってきた。また、何名かは輔大の語言中心の先生に引けをとらないほど教えるのが上手かった。今日の授業はいまいちだった先生も、資格を取るころには皆すばらしい語学の先生になっているとことだろう。
by TaiwanBlog
| 2007-12-30 14:00
| 民国96年12月