2008年 04月 07日
総統府 (留学二百二十一日目) |
日本李登輝友の会の台湾総統選挙見学ツアーに参加したとき、二二八紀念館や総督府のガイドを務めている蕭錦文さんと知り合った。今日はその蕭さんの案内で総統府を見学してきた。
台湾にきたら一度は行かなければならないと思っていたところが、総統府。総統府とは台湾の版のホワイトハウスといった施設。かつて日本が台湾総督府として建設した歴史ある施設で、むろんいまでも総統府として機能しており陳水扁総統がここで執務を執っている。そのため、警備は厳重であるが、民主化以降はこの総統府も、二ヶ月に一度の一般開放日のほか、平日9時から12時までの時間、パスポートさえ用意すれば誰でも気軽に見学できるようになった。今日は月曜日で授業もあるのだが、せっかくガイドの蕭さんと知り合ったということもあり、授業を休んで見学をすることにしたのである。
遅刻してはいけないと早めに行ったら、まだ見学受付には一人もおらず、受付の近くで場内警備スタッフと思しき軍人の一群が朝会らしきものを行なっていた。時間を潰すべく総統府の周りをうろついていたのだが、要所要所に監視カメラがセットされ、一定間隔で警備の衛兵が並んでいるなど、平和ボケした日本人に何事かと思わせるほどの厳重な警備が敷かれていた。彼らの持つ小銃には実弾が込められているそうだ。ちょっと疲れたので見学受付近くの花壇にもたれたところ、すっ飛んできた警備スタッフに注意されてしまった。
そうこうするうちに時間も経ち、見学受付にも人が並び始める。よく見ると全員日本人。何でも、今日の昼の便で日本に帰るそうでその前に総督府に立ち寄ってみたとのこと。まもなくしてガイドの蕭さんも到着し、厳重なセキュリティーチェックを済ませてから見学ツアーがスタートした。
入ってすぐにある、歴代台湾総督と歴代中華民国総統を紹介するパネルの前で、蕭さんがこの児玉源太郎や明石元二郎といった名総督の功績や台湾総督府の建物そのものについて紹介してくださる。蕭さんは志願兵としてビルマに赴いたことのある元日本兵であり、日本統治時代への思い入れが人一倍強く、話しはビルマでの戦いの話しや、終戦時の台湾の様子など貴重な体験談を拝聴することができた。ガイドの内容は、総統府の案内ではなく台湾総督府の案内であったが、日本統治時代を生きてきた蕭さんが話したいのは日本統治時代や台湾総督府の話しであり、ここを訪問する日本人が聞きたがっているの同じだろう。
朝鮮総督府のように解体されることもなく、かつての台湾総督と現在の中華民国総統を同じように扱った写真パネルを展示しているあたりに、台湾は不連続でありながら連続している歴史を台湾の歴史としてすべて飲み込む度量と自信を見ることができる。(※もっとも18日の新聞で、馬英九が総統府を郊外に移転させ、いまの建物を歴史紀念館にすることを考えているということが報じられるのだが。朝鮮総督府も国立中央博物館として使用された後に解体されたということを考えると、台湾総督府の将来にも一抹の不安が生じてくる。もし、総統府が移転ということになったら、親台湾派日本人が馬英九はやはり反日だと愛想を尽かすことは間違いないだろう)
展示室は、台湾総督時代に関する展示、総督府としての展示、季節などにちなんだ芸術の展示、外交先から貰った記念品などの展示、中華民国の勲章などの展示などと幅広く、興味は尽きない。ガイド蕭さんの説明も展示品以上に興味深い。例えば、総督府は立てられた当時から一部に設けられた喫煙スペース以外はすべて禁煙で、当時すでに完全分煙が実現していたそうだが、この先見の明には私も驚いたので、簡単に紹介しておく。ビルマでの話にしても、終戦時の話しにしても、こういった歴史を生き抜いてきた方の生の話しを聞くというのは、本を読むだけではわからない「実感」に触れる上で非常に重要であろう。とはいえ、蕭さんの話をすべて書くときりがないのでここでは割愛する。
蕭さんに馬英九就任後総督府の展示やガイドの仕方に変化はあるのかどうか尋ねたのだが、まだそういった話は聞いていないとのこと。もし、自分のやりたいようにガイドができないようになったならばガイドを辞めるつもりであるとの話しであった。
台湾にきたら一度は行かなければならないと思っていたところが、総統府。総統府とは台湾の版のホワイトハウスといった施設。かつて日本が台湾総督府として建設した歴史ある施設で、むろんいまでも総統府として機能しており陳水扁総統がここで執務を執っている。そのため、警備は厳重であるが、民主化以降はこの総統府も、二ヶ月に一度の一般開放日のほか、平日9時から12時までの時間、パスポートさえ用意すれば誰でも気軽に見学できるようになった。今日は月曜日で授業もあるのだが、せっかくガイドの蕭さんと知り合ったということもあり、授業を休んで見学をすることにしたのである。
遅刻してはいけないと早めに行ったら、まだ見学受付には一人もおらず、受付の近くで場内警備スタッフと思しき軍人の一群が朝会らしきものを行なっていた。時間を潰すべく総統府の周りをうろついていたのだが、要所要所に監視カメラがセットされ、一定間隔で警備の衛兵が並んでいるなど、平和ボケした日本人に何事かと思わせるほどの厳重な警備が敷かれていた。彼らの持つ小銃には実弾が込められているそうだ。ちょっと疲れたので見学受付近くの花壇にもたれたところ、すっ飛んできた警備スタッフに注意されてしまった。
そうこうするうちに時間も経ち、見学受付にも人が並び始める。よく見ると全員日本人。何でも、今日の昼の便で日本に帰るそうでその前に総督府に立ち寄ってみたとのこと。まもなくしてガイドの蕭さんも到着し、厳重なセキュリティーチェックを済ませてから見学ツアーがスタートした。
入ってすぐにある、歴代台湾総督と歴代中華民国総統を紹介するパネルの前で、蕭さんがこの児玉源太郎や明石元二郎といった名総督の功績や台湾総督府の建物そのものについて紹介してくださる。蕭さんは志願兵としてビルマに赴いたことのある元日本兵であり、日本統治時代への思い入れが人一倍強く、話しはビルマでの戦いの話しや、終戦時の台湾の様子など貴重な体験談を拝聴することができた。ガイドの内容は、総統府の案内ではなく台湾総督府の案内であったが、日本統治時代を生きてきた蕭さんが話したいのは日本統治時代や台湾総督府の話しであり、ここを訪問する日本人が聞きたがっているの同じだろう。
朝鮮総督府のように解体されることもなく、かつての台湾総督と現在の中華民国総統を同じように扱った写真パネルを展示しているあたりに、台湾は不連続でありながら連続している歴史を台湾の歴史としてすべて飲み込む度量と自信を見ることができる。(※もっとも18日の新聞で、馬英九が総統府を郊外に移転させ、いまの建物を歴史紀念館にすることを考えているということが報じられるのだが。朝鮮総督府も国立中央博物館として使用された後に解体されたということを考えると、台湾総督府の将来にも一抹の不安が生じてくる。もし、総統府が移転ということになったら、親台湾派日本人が馬英九はやはり反日だと愛想を尽かすことは間違いないだろう)
展示室は、台湾総督時代に関する展示、総督府としての展示、季節などにちなんだ芸術の展示、外交先から貰った記念品などの展示、中華民国の勲章などの展示などと幅広く、興味は尽きない。ガイド蕭さんの説明も展示品以上に興味深い。例えば、総督府は立てられた当時から一部に設けられた喫煙スペース以外はすべて禁煙で、当時すでに完全分煙が実現していたそうだが、この先見の明には私も驚いたので、簡単に紹介しておく。ビルマでの話にしても、終戦時の話しにしても、こういった歴史を生き抜いてきた方の生の話しを聞くというのは、本を読むだけではわからない「実感」に触れる上で非常に重要であろう。とはいえ、蕭さんの話をすべて書くときりがないのでここでは割愛する。
蕭さんに馬英九就任後総督府の展示やガイドの仕方に変化はあるのかどうか尋ねたのだが、まだそういった話は聞いていないとのこと。もし、自分のやりたいようにガイドができないようになったならばガイドを辞めるつもりであるとの話しであった。
by TaiwanBlog
| 2008-04-07 11:30
| 民国97年4月